今もくすぶる沖縄戦をめぐる歴史観の溝

昨日(5月15日)は沖縄の本土復帰記念日だったが、今年は53年と節目の年ではないせいもあって県外ではほとんどメディアで報じられることはなかった。代わりにではないが、自民党の西田昌司参議院員が「ひめゆりの塔」の展示資料を「歴史の書き換え」などと批判、さらに参政党の神谷宗幣代表も「日本軍が沖縄の人を殺したわけじゃない」などと街頭で演説し「本質的に彼(西田氏)が言っていることは間違っていない」と同意していたことがメディアで注目を集めた。
沖縄戦からすでに80年を経過しているにもかかわらず、県内で発掘されている事実について意義を唱える政治家が目につく。近年増えているといえるのかもしれない。そうした政治家の発言で共通するのは何を根拠にしているのかが見えないことだ。反論しようがない。自分の信念を「事実」として押し通そうとしているようにしか思えない。
弊社で発行した『沖縄戦の「狂気」をたどる』では、沖縄戦をめぐる専門家の分析や各地に残る証言を紹介している(詳しくは「沖縄探見社の本」コーナーで)。例えば日本軍が沖縄住民をスパイ視して不信感を抱いていたことは有名。次のような解説がある。「沖縄住民への差別的な意識と不信感は沖縄にやってきた日本軍にも広く浸透していた。第32軍司令部が『爾今(じこん)軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁ず、沖縄語を以って談話しある者は間諜(かんちょう)として処分す』、つまり沖縄の言葉を話す者はスパイとして処刑すると軍会報で通達しことにも示されている」(林博史『沖縄戦 強制された「集団自決」』より)。
実際、日本軍が駐留した西原村(現在の西原町)では、スパイよばわりされた住民が殺されているという。「桃原から伊保之浜に戻り、部落内の避難壕に隠れていた老人たちを全員、日本兵が引きずり出し、1人ずつ切り殺した。日本兵に殺されたのは6人の老人と1人の女性である」(『西原町史 第3巻資料編2 西原の戦時記録』)