分断と頑迷の時代は繰り返すか 霜多正次『虜囚の哭』
集英社クリエイティブ編『戦争と文学8 オキナワ 終わらぬ戦争』から③

終わりの場面を読みながら現代でも同じ悲劇が繰り返されているのではないかと思った。小説の舞台は戦争末期から米軍統治の初めにかけての沖縄。主人公は戦前・戦中の国粋主義的な教育から米軍の捕虜になることに抵抗を感じたが、いざ捕虜になってみると平和な暮らしのありがたみを実感し貧しいながらも穏やかな日々を送る。そこへ投降を拒み立て籠もる村人と日本兵に対する説得を米軍から依頼される。日本の敗戦を疑いの余地のない事実として受け入れた主人公は気安く引き受けるが、彼の行く手には悲劇が待ち受けていた。
こう書くと現代とは無縁の物語に聞こえるかもしれない。現代ではさすがに、日本は戦争に負けていないとか、日本の敗戦を口にするものは米軍のスパイとか本気で信じている者はほとんどいないだろう。しかし、トランプ米国大統領に象徴されるように、冷静に対話を重ねて合意点を探ろうとする作業が難しくなっている。何が正しいか認識が全く異なる。相手の意見に耳を傾けようとしない。民主主義の土台とされていた「心を開いて話し合えば分かる」が通用しない。そういう意味では、沖縄戦で見られたように、日本の劣勢・敗戦を信じる者とそうでない者たちの間にある認識の差は、再び現代にも出現しつつあるだろう。世界は対話と交流を重ね平和への道を歩むという理想論は幻想になのかもしれない。