コロナの時代に沖縄戦を学ぶ

 疑心暗鬼。これが新型コロナウィルスの一番厄介なところだ。ウィルスの性質がよく分からない上、症状が表れないまま他人に感染させる可能性が結構ある。おまけに、この国の政府は今に始まったことではないが、情報を隠したり、ねじ曲げたりする。政策決定のプロセスも不透明だ。だから、国民は政府に信頼を置けず疑心暗鬼になり、個人の権利を著しく侵す政策には納得できす反発する。政府も国民の反発を恐れて欧米のように強力な感染防止措置をとれない。

 それでも新型コロナウィルス対策をめぐり気になったのは、国民の側から非常事態宣言を求める声が高まった点である。政府の対応が遅いのも、国民の側から声が上がるのを待っていたのではないかと思うほどである。コロナウィルスの感染が落ち着いた後、感染症対策や非常事態宣言について再検討し議論が持ち上がるだろうが、情報公開から強権発動へ問題点がすり替えられないか不安が残る。政府がどのような情報を握っていて、どのような意図のもと何を目指して、どのようなプロセスを経て政策を決定しているのか分からなければ、国民は疑心暗鬼にかられる。

 国民は真実を知らいない方がよい。判断を誤ったりパニックになったりする。政府の中で国民を信頼しない潮流は、80年以上前に戦争へ突入した時とあまり変わっていないのかもしれない。政府と国民の間はもちろん、国民どうしの間にも疑心暗鬼が渦巻く状況で、政府や軍が強権を持った場合、何が起こるか。沖縄戦が如実な例を示している。中でも沖縄住民の「スパイ視」によって、多くの悲劇が生まれた。米軍が兵力、装備ともに圧倒的に優勢で、沖縄周辺の制空権・制海権を完全に握っていたことを考えれば、沖縄にスパイを送り込む必要がないことは明白だったが、現場の兵士や住民には正確な戦況はほとんど知らされず、米軍の進撃に疑心暗鬼になった。兵士たちは、ちょっとでも住民が怪しいと判断すれば片っ端から「スパイ」とみなし虐殺が容認された。(T)

※当店では写真の『沖縄県史第8巻 沖縄戦通史』(→「沖縄の社会・歴史」コーナー)や『沖縄戦の「狂気」をたどる』(→「沖縄探見社」コーナー)など、沖縄戦に関する書籍を扱っていますので、詳しいことは各コーナーをご覧ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です