エイサーの季節到来

 8月4日、那覇市の国際通りで「一万人のエイサー踊り隊」が開かれ、県内各地の創作エイサーや伝統エイサーが披露された。趣向をこらした創作エイサーもよいが、昔ながらの沖縄民謡にのせた力強い演舞を目にすると、旧盆が近いという感慨が湧く。

 もともと、盆踊りから変化したといわれる沖縄のエイサー。現在のように太鼓を使った踊りが定着したのは、昭和に入ってから。特に、1956(昭和31)年からコザ市(現在の沖縄市)で始まった「全島エイサーコンクール」が大きな影響を及ぼしたといわれる。不特定多数の観客を意識し各地のエイサー団体が競い合うことによって、エンターテインメントとして芸能の色が濃くなった。

 太鼓や大太鼓の数が目立って増えた上、太鼓の打ち方も太鼓を回して蹴り上げたり、踊り手が飛び跳ねたりするなど新しい技が登場。隊列も単純な直列や円陣から、マスゲームやマーチングバンドのような複雑に変化するスタイルに移った。思い思いだった衣装も、鮮やかな色を使い洗練されたものに統一され、曲も新しい民謡が取り入れられた。

 このような経緯は沖縄史企画部平和文化振興課『エイサー360°―歴史と現在』や久万田晋『沖縄の民俗芸能論 神祭り、臼太鼓からエイサーまで』にまとめられている。

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