【初めに】
「沖本屋」はオンライン書店です。「沖縄から日本の過去と今が見えてくる」の視点から、沖縄関連本を中心に紹介・販売していきます。新刊としては、沖縄探見社の本を取り扱い、古書については出版社やテーマ分野を限定せず、幅広く取り揃えています。紹介・販売する本の一覧や内容については、それぞれ「沖縄探見社の本」「古書部門」のページをご覧ください。取り扱う本はまだまだ増やしていきますので、今後ともご注目ください。お問い合わせやご注文に際しては「お問い合わせ・ご注文」のページをご利用ください。古書部門や沖縄探見社のページから「お問い合わせ・ご注文」のページに移ることも可能です。なお、店頭での販売はいっさいおこなっておりませんので、ご了承ください。
店主 髙橋哲朗
【沖本屋について】
「沖本(オキホン)」とは沖縄関連本を略した言葉です。個人的に考えついた言葉であり、まったく一般的に使われていませんが、親しみやすく口にしやすい言い回しではないかと思い「沖本屋」を名乗ることにしました。
【沖縄の歴史・文化】
2006年に沖縄に移り住み、本を編集・制作する仕事に携わってきました。それ以前から、何度か沖縄には旅行に来ていて、関連する本を読んでいたのですが、県内に住んで学ぶうち、まだまだ知らないことが多いことを痛感しました。沖縄の文化・歴史がいかに奥深いかと同時に、日本全体を映し出す、非常によい鏡になっていると考えるようになりました。「日本を映す鏡」はどういう意味か、説明したいと思います。
【400年続いた琉球王国】
1879(明治12)年に日本に併合されるまで、沖縄は400年間、「琉球王国」という独立国家でした。1609年から薩摩藩の支配を受けますが、独自の統治組織を保ち、国家としての枠組みは残ります。これだけの長い期間、中国や日本という隣国に飲み込まれず独立国家を維持できたのは、四方を海に囲まれるという地理的な条件もありますが、小国としての立場を冷静に自覚し、他国との力関係を巧みに利用してきたおかげも小さくないでしょう。
【小国の生き残り術】
18世紀初めのころでも、琉球王国は人口十数万程度だったといわれます。とても武力や経済力で他国を圧倒できません。代わりに力を入れたのは、「文化力」でした。歌、踊り、演奏など芸術の力を磨く道を選びました。現在も、沖縄は多くのアーティストを輩出しているのも、琉球王国時代の遺産かもしれません。
今、日本は少子高齢化が進み、人口減少社会に入っていますが、高度経済成長期やバブル期の幻影「経済大国」「Japan as No.1」が忘れられず、経済力や武力で他国を圧倒しようとする勢力が伸びているように思えます。しかし、人口減少期に入った国が「大国」を押し通そうとすれば、周辺国などと無用の摩擦を起こすだけでなく、ドーピングをして記録を伸ばすアスリートのように、後に大きなツケが回ってくることになります。もっとも、現在でも1000兆円を超える借金を抱え、すでにツケは十分すぎるほど膨らんでいます。そんな日本にとって、小国として巧みに生き抜いた琉球の歴史は示唆に富んでいます。
【利用され続けた近現代】
沖縄の近現代史を振り返ると、日本の海外進出や安全保障のため利用され続けたといえるでしょう。日本の最初の海外派兵は、1874(明治7)年の台湾出兵です。1871(明治4)年、宮古島の船が那覇から戻る途中、遭難して台湾に流れ着き、乗組員54人が地元住民に殺害されると、日本政府はこれを口実に台湾へ3600人余りの兵士を送ります。背景には、琉球領有と台湾進出の野望があったと指摘されます。
これらが導火線となり、日清戦争(1894年)が勃発。日本は勝利しますが、その後はロシアとの緊張関係が高まることになり、軍備増強のため、沖縄の特産品に課税する砂糖消費税を導入、財源に充てます。1941(昭和16)年に始まる太平洋戦争では、沖縄は本土決戦のための時間稼ぎの場として位置づけられ、軍民合わせて20万人を超える犠牲者を生みます。
戦後、沖縄が米軍の占領下に置かれ、アジアにおける一大軍事拠点となることによって、本土は独立を果たし経済成長に専念する道を歩みます。本土で米軍基地への反対運動が起きれば、基地を沖縄へ移転することによって運動の鎮静化を図ります。1972(昭和47)年、沖縄は本土復帰しますが、基地負担の多くを負い続けることによって、日米同盟が維持されるという構図は変わっていません。
【連絡先】
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