語らざるを得ない戦争体験

 十数年前から、自分史の編集者をしているが、沖縄では、戦争体験を中心にまとめようとする人が多かった。光輝く海の上をトビウオが跳ねる姿を戦艦から眺める。夜中に死にゆく戦友に寄り添っていると、故郷の波の音が頭に響く。

 メモや日記はないにもかかわらず、同僚や上官の名前・階級はもちろん、場面、場面での表情や仕草、発言、周囲の風景、生えている草木の名前まではっきりと記す。戦闘など緊迫した場面は、映画のストップモーションのように描く。

 戦時中の描写は文学的な香りさえする一方、その10倍以上の年数を費やした戦後の人生は、文章量は短く、内容は事実の羅列に近く無味乾燥である。

 戦争を体験した時、感性がみずみずしい年代だったうえ、戦争という特殊な緊張状態によって五感が研ぎ澄まされていたことは想像できる。では、戦後の暮らしを語る部分が無味乾燥になりがちなのはなぜだろうか。

 もともと事細かに自分の体験を書く方ではなかったが、戦争体験は特別であり詳細な記録を残したかったのか。それとも、若い時に受けた戦争体験があまりに強烈なため、平和な暮らしを素直に受け入れられなくなっていたのか。

 いずれにせよ、戦争の影響は根深い。自分で書いた文章にもかかわらず、戦争の場面を読み始めると、顔を赤くして興奮する人もいれば、毎回会うたびに、沖縄戦で死体をまたぎながら避難した体験を繰り返し語る人もいた。戦争以外については冷静に話せる人たちである。「語りたい」という願望よりは、「語らざるを得ない」衝動に近いのかもしれない。

 戦後、沖縄各地で丹念に、こうした「語らざるを得ない」声が集められ、その成果が本にまとめられてきた。個人でまとめたものがから、字誌、記念誌、市町村史や県史の一部として編集されたものまで様々である。沖縄県立図書館の郷土資料コーナーには、その成果として膨大な量の戦争体験集が山脈のように並ぶ。

 ただ、今後は新たな戦争体験が加わることはぐっと少なくだろう。戦争を直接体験した世代はすでに80代後半以上にさしかかり、語ることが難しい。「語らざるを得ない」声をどう生かすかは、残った我々の責任だろう。

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