コザ暴動が照らし出す日米関係

 明日(12月20日)は、コザ暴動が起きてからちょうど50年になる。コザ暴動とは何か? 本土メディアはほとんど伝えていないようだが、沖縄では新聞やテレビが連日、関連した特集記事や番組を組んでいる。沖縄探見社の『沖縄の基地と性暴力』(詳しくは当ホームページの「沖縄探見社の本」のコーナーを参照)から説明を引用しよう。

 「沖縄の一般住民は、軍法会議にかかわれないばかりか、裁判の結果もあまり知らされない。しかも、たまたま知り得た判決内容には大きな疑問符がつく。犯人の特定は難しくなく容疑はかなり濃厚であるにもかかわらず、以下のように無罪の判断が下されている。(中略)

 これらに加えて、1970(昭和45)年9月18日、糸満町(現在の糸満市)で主婦がひき殺された事件は沖縄住民に強い衝撃を与えた。乗用車を運転していた米兵は、制限速度を大幅に超過し、ジグザグ運転を行って飲酒していたことが明らかにもかかわらず、同年12月11日の軍法会議では容疑者の米兵に無罪判決が下りた。裁判のやり直しを求める動きが広まるが、米軍に応じる気配はない。沖縄住民の怒りは抑えがたいほど高まる中、同年12月20日に「コザ暴動」が発生する。

 同日未明、コザ市(現在の沖縄市)で沖縄住民と外国人の交通事故が相次いで起きたが、米軍のMP(憲兵)が外国人を立ち去らせようとしたため、集まった群衆が「糸満事件の二の舞になる」と激しく非難し投石を始めた。暴徒化した群集は数千人規模にまで膨れ上がり、80台余りの米軍関係者車両を焼き打ちにした」

 半世紀が経ち、これほど露骨な米兵の無罪放免はなくなったが、沖縄において米軍基地は治外法権の地であり、米兵や米軍の活動に対する日本の捜査や調査にかなりの制約があることには変わりない。根本の原因は日本に多くの米軍基地が置かれていることにある。米軍は世界におよそ800カ所の基地や拠点を持つといわれる。米軍は既得権益のように、いったん手にした基地や拠点をなかなか手放さない。日本側も米軍駐留が続けば、とりあえず波風がたたず安全と動かない。だが、これが両国にとって幸せな形なのだろうか。そろそろ前例踏襲をやめて、現在の安全保障をめぐる環境において、本当に必要なのかどうか改めて考える必要があるのではないか。(T)

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