日本は記憶とどう向き合うか
日本の記憶を刻み付けるために小説を書き始めた。ノーベル文学賞の受賞が決まった時、そんな内容のことを著者のカズオ・イシグロ氏はTVのインタビューで語ったと思うが、『忘れられた巨人』では直接的に日本との結びつきを感じさせるものはない。ただ、「記憶」が大きなテーマなことははっきりしている。凄惨な民族抗争を再発しかねないとしても記憶を呼び覚ますべきかどうか、葛藤が描かれている。
まったくの想像だが、英国で今も民族対立の「記憶」を引きずり、スコットランドや北アイルランドの分離独立の動きが消えないことが、『忘れられた巨人』執筆の背景にあるのかもしれない。経済的な利益だけ考えれば、英国という連合体を保った方がよいはず。しかし、消し去れない屈辱の歴史や民族の誇りが分離独立へと突き動かすのだろう。物語も主人公が、記憶を取り戻す旅に出る場面で終わっている。著者が意図したかどうかは分からないが、日本でも今「記憶」とどう向き合うべきか問われている。
日本国内では、戦前や戦中の加害者としての記憶は消し去りたいという空気が充満している。過去にこだわっても何の得にもならず、経済的な利益を優先しようとする。一方、周辺諸国には日本によって被害を被った「記憶」は依然、残ったまま。経済的な利益のために過去を葬ることはできない。記憶こそは自分が生きた証しだ。この差は単に加害者と被害者の立場の違いだけでなく、過去へのこだわりの薄い日本人の精神的な特性と深くかかわっているのかもしれない。(T)