米国から逃れられない 「カッコいい」の時代①
沖縄に住んでいていると、米国の暗部に目がいかざるを得ない。米軍統治下時代の戦後沖縄を振り返れば、米国は自由に基地をつくり運営するために沖縄住民の財産や人権を簡単に足蹴にしてきた。本土復帰後も、基地内は完全に治外法権の地であり、基地の運営については沖縄住民の意向などほとんど無視である。超大国と戦勝国の力を見せつけ、わがままし放題なのだ。
一方、米国の価値観や文化にもどっぷり浸ってきたことにも気づく。平野啓一郎著『「カッコいい」とは何か』を読んでいる時である。同書では、語源から始まり、「カッコいい」をキーワードに各種の言説、似た言葉や関連する言葉と比較し歴史をさかのぼり、日本だけにかぎらず、米国や欧州にも関心を広げ、音楽、映画、ファッション、芸術などさまざまな分野を探り「カッコいい」の核心に迫ろうとする。
その中で、米国の「カッコいい」概念に来たとき、「ああ、これは少年時代から自分の中心に据えてきた価値観」だと思った。反権力、自由、揺るがない信念、安定を求めない一匹狼など、もともと日本に根づいたものというより、明らかに直接、間接を問わず米国から流れ生活に浸透したものだった。米国の特定の人物や文化に憧れたり夢中になったりしたわけではないが、じわじわと自分の中にしみ込んだようだ。私の生きた時代は、政治から文化まで米国の圧倒的な影響力の中にいたことを痛感せざるを得ない。(T)