沖縄と韓国のつながりは偶然か
30年以上前、初めて沖縄に来たとき買った本が金城実著『土の笑い』だった。当時、彫刻家である著者についてはまったく知識はなかった。しかし、店先で手にとり、表紙を飾る著者の作品に惹かれるものがあった。小学校で図工の時間につくる粘土細工のようにゴツゴツとした素朴な人物像だが、何とも言いがたいエネルギーを放っていた。
「吟遊詩人」のタイトルが付けられ、演奏しながら熱唱する琵琶法師に見える一方、弦楽器はネック部分が長く、インドの伝統楽器シタールを思わせる。本の中身は、『土の笑い』というほのぼのとしたタイトルとは裏腹に刺激的だった。沖縄・浜比嘉島に生まれた著者が、沖縄出身者やその子孫が多く住む大阪市・大正区を拠点に、日本人になりきれない沖縄人、戦争と平和、在日朝鮮人や被差別部落に対する差別など、日本社会が抱える歪みをテーマに評論し作品を制作してきた半生がつづられている。
昨年(2020年)たまたま、読谷村で金城氏の作品に触れる機会があった。人通りのない路地裏の広場にあり、小さな丘の裾に埋め込まれたレリーフだった。目隠しをされ後ろ手に縛られた男性、その足にしがみつきながら叫ぶ女性、銃を振り上げ髑髏(どくろ)のような顔をした兵士の3人の姿が、土の中から掘り出したような質感でかたどられている。太平洋戦争中に強制動員された朝鮮半島出身者を追悼する祈念碑「恨之碑」として制作された。金城氏は沖縄出身者であり、これまでの作風や在日朝鮮人の差別に向き合ってきた経歴からすれば、レリーフの制作者となるのは自然なことだったのだろう。
「恨之碑」がこの地にあることは意味深い。「恨之碑」の「恨」は韓国では「悲哀、憤怒、後悔、悔恨、無念などが長く胸の中に留まり、しこりとなった心情」を意味する。沖縄戦では兵士を相手にするため県内各地に慰安所が設けられ、朝鮮半島から女性が連れてこられたことは知っているが、労働者や軍属については沖縄で特段多かったというイメージはなかった。注目を集めやすい慰安婦のかげに、強制動員は隠れがちだったのかもしれない。
考えてみれば1944年から45年にかけて、米軍の上陸を見越して沖縄各地で人員の配備や施設の構築が進められた当時の状況を考えれば、多くの半島出身者が沖縄へ送り込まれたとしても不思議はない。「恨之碑」建立のきっかけをつくった姜仁昌氏は、故郷の慶尚北道(現在の韓国)からだけでも、3000人余りが沖縄へ強制動員されたとする記録を探し出したという。姜氏は1944年に沖縄へ強制的に動員された一人であり、「稲穂を盗んだという理由で処刑された同僚たちのことが忘れられない」と証言している。(T)
※沖本店は、金城実氏の著作についてはページ「沖縄の自然・文化」の「芸術・芸能」コーナーで『沖縄を彫る』を販売しています。