個性をあおられる子どもたち -日本の病巣はどこに?②-
記憶によれば、1980年代ごろから世間が盛んに「個性」と叫ぶようになった。日本は経済大国になったが、さらに発展するには個性を持った人材が必要という文脈だったと思う。同じ頃、「国際化」も唱えられ始めたから、グローバル化が意識されていたはずだ。就職を間近に控えていたが、それまで偏差値教育にどっぷり浸っていただけに個性とは何か分からず戸惑っていた記憶がある。とにかく他人と違って目立つ点くらいに受け取っていた。
土井隆義著『「個性」を煽られる子どもたち』を読むと、日本人の精神的な病巣に近いところまで、「個性」は「自分らしさ」と並んで浸透し現代社会を表すキーワードになっていることがうかがえる。同書によれば、子どもたちは社会に対する関心を失い、意識は自分の内側へ向かう傾向にある。「個性」や「自分らしさ」は、社会の中で揉まれて形づくられるよりは、ダイヤの原石のように自分の中にもともと眠っているイメージが広まった。
しかし、そこには社会の中で自分を位置づける視点がないため、自分の感覚や思いつきに陥りやすい。「個性」や「自分らしさ」はあやふやさを増すため、確からしさを得たいと自己承認欲求が膨らむ。同書のサブタイトルに「親密圏の変容を考える」とあるように、子どもたちが関心を持つ範囲が大きく変化し、人間関係も変質させたとも指摘する。関心を持つ範囲「親密圏」が狭くなり、しかも圏内と圏外が断絶する。圏内はより狭くなるために、濃密になり臆病なほどに神経を使うが、圏外はまったくの無関心になる。同書の第1刷が発行されたのは2004年だが、関心のある情報以外は遮断し、承認欲求に応えるソーシャルメディア時代の到来を予感させる。(T)