上野英信著『眉屋私記』

 本書の文学碑が5月下旬、名護市屋部に建立されたというニュースを聞いて読み始めることにした。意外に感じたのは、沖縄からメキシコへ1900年代の初め、炭鉱で働くため移民が送り出されたこと。戦前の沖縄移民といえば、ブラジルのコーヒー栽培やペルーのサトウキビ栽培を思い浮かべるが、同書によれば、メキシコの炭鉱へ百人単位の労働者が送り込まれた時期もあった。炭鉱という労働環境を考えれば、農業移民以上の過酷さや危険が伴ったことが容易に想像できる。事前の説明ほど賃金を受け取れない上、移民会社の中間搾取や職場監視員の暴力もあり逃げ出す者が相次ぐ。炭鉱という労働環境に加えて食料事情も悪く体調を崩し、坑道内の事故によって死傷者が出ることも珍しくなかったという。

 沖縄で炭鉱といえば、今では雄大な自然が残る観光地として知られる西表島に存在した「西表炭鉱」が思い出される。日本の最も南に位置する炭鉱として、明治中期から終戦後まもない時期まで60年余り採掘が続いた。高温多湿の劣悪な労働環境のもと、マラリアや食料不足に苦しめられた上、ジャングルの中という隔絶された場所にあったことが悪用され、監視役による暴力や脅しもあり強制労働が繰り返された。しかも給与は現金でまともに支払われず、労働者は炭鉱切符とよばれる炭鉱内でしか使えない金券を受け取り、食料などの必要物資を購入しなければならなかった。

 戦前の沖縄で、こうした過酷な炭鉱へ労働者が向かったのは、だまされたせいもあるが、多くの庶民が、希望を持てない貧困状態にあったことも注目すべきであろう。本書でも、多くの紙幅を割いて息子を丁稚奉公に出したり娘を遊郭に売ったりせざるを得ない経済状況を解説している。(T)

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