失われた全体性と求められる物語 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』

 近現代は肉体と精神を分離し、合理性や論理性の追求によって科学が発展し経済は成長する一方、心が病む原因を生む。一面的な社会的規律や効率性に常にさらされ傷ついた現代人の意識を治癒し、全体性や肉体性を回復するために物語が必要となる。こうした物語の治癒力について『こころの声を聴く 河合隼雄』では河合氏が心理学者の立場から、村上春樹氏が物語を紡ぐ作家の立場からそれぞれ語る(2021年6月3日投稿)が、本書では2人が物語と身体、無意識との関係性をさらに掘り下げる。話題は日本と欧米の文化的土壌の違いから、人間の持つ暴力性や戦後日本の平和主義にまで及ぶ。

 個人的には特に2点が印象に残る。1つは、睡眠中に夢をみることも物語づくりとする点。論理をまったく抜きにして「腑に落ちる」。村上氏は夢をほとんど見ないが、地面からちょっと浮くだけの「空中浮遊」の夢だけは見るという。河合氏は「バーッと一挙に高いところまで昇る夢を見るのは子どもですよ、大人はまずありません」と指摘する。自分も大人になって見た夢ではっきり記憶にあるのは空中浮遊。ただし、バーッと高いところを長い時間飛んでいるので、自分はどのような精神状態か少々気になった。

 もう1つは、戦後日本は戦争に対する反省もあって、本来人間の内側にある暴力性を頭から否定した点。まったく同感である。「暴力や武力は絶対にいけない」「平和が正しい」さえ掲げれば、とりあえず批判されないが、暴力性と正面から向き合う機会を失う。不健全な形で抑え込まれた内面の暴力性はやがて溢れ出し、暴力性を加速させる世界の中では、一国平和主義が矛盾に満ちることは目に見えている。(T)

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