「夢中」や「好きなこと」に潜む危険 國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』②

 いかに生きるべきか。大人たちが子供に向かって説く時、「夢中になれること」や「好きなこと」を見つけなさいという言葉がよく使われる。本書は、暇と退屈に満ちた人生をいかに過ごすべきか考察を重ねるにもかかわらず、単なる暇つぶしや気晴らしと、「夢中になれること」や「好きなこと」をどう見分けるか具体的には触れていない。むしろ、夢中になることは奴隷になる危険性を指摘する一方、退屈を噛みしめながら、日常生活を一つひとつ楽しむ訓練の必要性を説く。

 こう書くと「人生は単なる暇つぶし」という突き放した見方のようにも聞こえるが、冷静に考えれば、「夢中になれること」や「好きなこと」が見つけらえるのはごく一部の人々であり、それらを見つけられないために悩み苦しむ人々の方が目につく。たとえ見つけたと思っても、暇つぶしや気晴らしでないと簡単には言い切れない。本書で解説するように、暇と退屈の正体を見極め自分なりに思考を積み重ねるしかないのだろう。そういう意味では「夢中になれること」や「好きなこと」は誰にでも簡単に見つかれるように言いふらすことに弊害が目につくのかもしれない。‘(T)

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