仏教以前まで探る心の原風景 岡本太郎著『神秘日本』

 最近、「日本再発見」のテレビ番組をよく目にするようになった。日本社会が求めるものに応えようとしているのかもしれない。だが、その求めるものの先に広がるのは決して明るい未来とは思えない。本気で日本を見つめ直すというより、経済産業や学術研究で中国や韓国に追い上げられ追い越されて失った自信を少しでも癒すための自画自賛の面が強いからだ。

 こんな時代だから、日本再発見について力強いメッセージを残した岡本太郎の声に耳を傾けるべきであり、本書はそのメッセージが刻まれた一冊だ。まだ敗戦から完全に立ち直ったとはいえない1950年代、彼は各地をめぐり日本人の根っこの部分を掘り当てようとする。日本文化といえば真っ先に名前の挙がる奈良・京都ではなく、特に沖縄や東北、修験道や密教など「辺境の地」とみなされがちな地域に光を当てたのは彼の慧眼だろう。洗練された仏教文化ではなく、社会の周辺に追いやられた者たちの怨念や荒々しい自然に翻弄される苦悩、そして隣り合わせに突然現れる穢れなき清浄さに、日本人本来の心的エネルギーを見出す。

 スマホやインターネットの普及、大量消費社会の到来、学生・労働運動の激化、伝統的な大家族・家父長主義の崩壊、欧米スタイルを真似た生活の普及など近現代の日本は幾度となく大きな時代の波をかぶり変貌を遂げてきた。では本来の日本人はどれだろうか。岡本太郎はこの根本的な問いに対する答えを、仏教が広まる以前の日本に見出そうとする。宗教の力が弱まったとはいえ、日本人の精神に仏教が深く根を下ろしていることは否定できない。しかし、彼は、仏教はあくまでも外来文化と位置付ける。彼の武器は彼の直観力であるが、非常に強力な説得力を持つ。本文中では、口当たりのよい言葉を排し、次のような宗教観を語る。

 「ほんとの宗教は人を救うよりも苦しめるべきだと思うんです。人生は、人間が生きるということは、苦しむってことだけが本質ではないでしょうか…(中略)もっと本質的に苦悩をへなければ生き甲斐は現出しない。だから仏の立場とすれば、そこから解き放つんではなく、むしろ苦悩をつきつけ、あたえなきゃいけない…(中略)人間の矛盾を徹底的につきつけて、絶望させる。人間と心理を段階的に和合させるんじゃなく、引き裂くことによって根源的に再結合させる」(T)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です