寛容の消失にじむ沖縄憎悪
今から十数年前、外国から日本へ戻って沖縄に住み始めた時、最初に印象に残ったのがコンビニ店員の応対である。店に入ってきたら「いらっしゃいませ」と挨拶する。それ以外の受け答えもしっかりしている。日本の若者は変わったなあと思ったものだ。ところが、どのコンビニに行っても、店員たちの言葉は判で押したようにほぼ同じ。マニュアルをあてがわれて、それを忠実にこなしていることに気づいた。まったく挨拶しないよりは挨拶した方がよいに決まっているが、マニュアル通りでは味気なく無味乾燥である。
もっとも、コンビニだけならば、そんなことかと思ってやり過ごせばよい。しかし、思考を停止しマニュアル通りにこなすことに集中する気風がはびこっていないだろうか。自分が決めた「マニュアル通り」にするだけでは気がすまず、それに従わない他者を攻撃する気風である。その「マニュアル」も合理的な考え方や科学的な知識に基づくのではなく、個人的に「正しい」と思い込んでいたり、SNSなど一部グループの間で信じていたりするだけならば話はさらに複雑になる。
今月11日に投開票された沖縄県知事選で、辺野古新基地反対の玉城知事が再選されると、「沖縄は中国の属国を選んだ」「沖縄は切り捨て」などの批判がSNSに投稿されたという。まず、なぜ新基地反対=中国の属国になるのか、あまりにも短絡的で論理の飛躍がある。「辺野古が唯一の選択肢」を繰り返すばかりの政府説明をなぞっているとしか思えない。おまけに、選挙という合法的な手続きを経た結果にもかかわらず、沖縄県民の選択に対する敬意もなければ、なぜ沖縄県民がそのような選択をしたか慮る気配もない。我が国で自由と寛容が失われつつある兆候でなければよいが。(T)