沖縄で考える軍備増強論との距離感
昨日(1月21日)の地元紙は、2014年製作のハリウッド映画「コジラ」において米国防総省が、広島に投下した原爆の被害に触れた台詞に対して抗議したほか、脚本全体を変更するように求め、映画の製作者側がこれを受け入れていたことを伝えた。映画製作の内情は詳しく知らないが、米軍機や艦船の撮影許可などを与える代わりに、映画の内容に国防総省が脚本に注文をつけることは十分ありうるだろう。軍隊は情報非公開が原則の組織。イメージの向上につながれば外部に対して公開するが、そうでなければ、さらさら公開する意志はないはずだ。
最近は日本のテレビ番組でも自衛隊の協力を得た映像が流れるようになった。どの程度の注文が自衛隊側から出ているか分からないが、自衛隊のイメージアップには役立っているようだ。周辺国との緊張関係が盛んに唱えられているせいもあるだろう、沖縄でも、かつてほど自衛隊に対する拒否反応が目につかなくなっている。しかし、気をつけなければならないのは、私たちが目にしやすい情報は何かである。特段注意しなければ、米軍にしろ自衛隊にしろ自らの組織に都合の悪い情報を発表せず、望ましいイメージばかりを量産しようとする。軍備を強化しやすいように隣国の脅威を強調する傾向にある。特に米国にとっては自衛隊の強化は米軍を補完勢力の強化につながる上、米国の兵器や設備を日本がより多く購入することになる。
ロシアのウクライナ侵攻を目撃した後で非武装論を唱え続ける人はごく少数だろう。かといって核兵器を持ち中国と互角の軍備を持とうと主張する人もそう多くはないはず。ではどの程度が日本にとって妥当か。難しい問いではあるが、政府が唱える「抑止力の強化」は、軍拡競争の引き金にもなりうることも忘れてはならない。(T)