学歴主義と能力主義が招く分断の時代   マイケル・サンデルル/鬼澤忍訳  『実力も運のうち 能力主学歴義は正義か?』①

 「運も実力のうち」はよく聞くが、その反対「実力も運のうち」とはウケを狙った「逆張り」と思う人がいるかもしれない。しかし、本書を読み始めれば、奇をてらった言い回しでないことがすぐに分かる。

 そもそも、実力や能力とは何か、という判断も簡単ではないが、まず一番分かりやすい「学歴」という言葉に置き換えてみよう。「名門」や「有名校」に入れるかどうかになるが、入学試験の大半は一見公平だ。だが、「名門」「有名校」と呼ばれる大学に入れる学生は大抵、裕福な家庭というのはよく知られた話。入試対策を十分に練った予備校や学習塾に通い、優れた家庭教師を雇い、十分な参考書や問題集を購入できる生徒と、それができない一般家庭の生徒を比べれば、どちらが入試に合格できる可能性が高いか一目瞭然だろう。

 能力を正しく測定できるとしても、本人の能力を育むための教育や訓練は家庭環境に左右される部分が小さくない。能力を伸ばすための努力も、親の意識などを含め家庭環境によって左右されることは十分考えられる。つまり、どのような家庭環境に生まれるかという運に影響されることは明らかだ。何よりも問題なのは、そうした運の影響をまったく無視して、社会的な成功者やエリートたちが自分たちの成果は「実力の結果」と勝ち誇ること。一方、そうでない人たちを「能力」「努力」が足りないと見下される。著者は、こうした能力主義や学歴主義が、「トランプ現象」に象徴される社会の分断を招いていると警鐘を鳴らす。社会的に成功できず低い学歴しか持てないとすれば、それは「自己責任」の結果とにすぎないと結論づける見方が広まりつつある。こうした見方を浴びせられる人々の怒りをうまくすくいとったのがトランプ前大統領と分析する。(T)

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