死生の忌みと念仏 高取正男著『宗教民俗学』③

 精神的な不浄や穢れという概念はどこから来るのだろうか。科学的な思考が広まった現代でも消え去る気配はない。この概念の出どころを一語で言い表すことは難しいとしても、著者は国内に広まる要因として仏教の念仏を挙げているところが興味深い。

 仏教の教義の上で正しいかどうかはともかく、亡霊の出現などトラブルを生む場で念仏が唱えられる光景に我々一般人はしっくりくるものを感じる。さまざまな不浄や穢れの概念があり地域によって異なるが、特に出産、生理や死にまつわる禁忌は全国的に共通しているようである。仏教が広まる以前から「死生の忌み」はあったにしても、念仏と結びつき意識化し体系化されたと著者は分析する。

 平安時代以降、葬送念仏が一般化し49日法要など節目ごとに死者への念仏を捧げる習慣が固まる。私たち生者にとっても、葬儀で念仏が流れることによって死という最も重い忌みが薄らぐような気分になるのは確かだろう。死の忌みと結びついた「喪中はがき」も、年賀状の習慣そのものが薄らいでいるものの、私たちの社会にまだ存在感を残している。

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