なぜ日本人は政治に無関心か 吉本隆明講演集1『日本的なものとはなにか』②

 この問いかけは日本社会を分析・考察する上で重要なテーマだろう。江戸時代や明治時代から「お上」が出す命令にそのまま従う気風が生まれたなどという説を聞いたことがあるが、本書の著者は遥かそれ以前の国家の成り立ちに要因があると指摘する。

 大和朝廷が日本国内を統一する過程で、地域ごとの統治形態や風習、宗教などを温存させたまま併合したため、中央政府のあり方にあまり関心を持たなかったとしている。これは日本的というより「アジア的」な国家の成立過程と分析する。「(併合する前の)元にある共同体のできあがり方を、できるだけ手をつけないようにして、その上に共同体を組む」「例えば、何か物質的に召し上げるときは、それぞれの地域の長を通じて、物を中央に持ってきて納めるやり方をとります」「底辺にいれば、上のほうでやっていることには全然関係がない」。

 一方、ヨーロッパでは、支配層は国家を形成する際、自分の制度ややり方を末端まで貫徹させようとして、拒否する勢力は滅ぼすという訴えたという。「じぶんたちの共同体の風俗・習慣・制度と異なるものは許さない、末端までじぶんたちのものを貫徹しなければやまない」方針だったとする。

 こうした違いには、自由の概念をめぐるヨーロッパとアジアの根本的な違いがかかかわるとみる。ヨーロッパでは「いかに外界の自然から独立に、人間の内面が、つまり観念が考えられるか」「人間の内面性、観念をいかに保障するか」に対して、アジアでは「天地自然、山川草木と如何にして一体感を持ちうるか、一体感を持つために如何にして身体的習慣やその他の修練をするのか」したがって「唯一のものがない」としている。そのまま受け入れるかどうかは別にして、我が国の成り立ちを考える上では重要なテーマであろう。

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