沖縄のグスクとは何か 仲松弥秀著『うるまの島の古層』①

県外の人にとってあまり馴染みのないため、理解してもらいにくいものが沖縄には多い。その一つが「グスク」だろう。「城」という漢字を当てはめ、首里城や勝連城、中城城などは、城壁に囲まれ軍事施設の様相を帯びることから、県外の城と同じと考えるのかもしれない。しかし、著者の仲松氏は本書で「日本各地には、死んだ人を神と敬し、その葬所を拝所としたところが見られるが、南島琉球弧の島々では、そうした墓地や葬所をグスクと呼んで、大切してきた」と語る。
では、なぜ城壁で囲まれた「グスク」が建設されたのか。著者はグスクの主(ぬし)たちがたどった歴史にあるとみる。本書によれば、彼らのほとんどは本土から海を渡り渡来した者であり、商業貿易に対する関心や才能を持っていたと思われる。ごく親しい者しか引き連れてこなかったため、武力で島の住民を制圧することはできない。優れた知識・技術、物資をもたらすとともに、地域で信仰される神を擁護することによって住民の信頼と尊敬を得て豪族化し「按司」と称されるようになった。一方、このような按司が各地に誕生し貿易の利益をめぐり闘争が起きるようになり、神を守るとともに自分の拠点を防衛するために城壁で囲まれた施設へ変化したと考えられる。
このため、首里城についても「外形はたとえ本土各地に存在する城形態を成しているとしても、それは外形だけであって、もちろん防備的な側面もないとはいえないが、そうした防備的側面以上に神聖地としての内容が前面に出ている」と分析する。

