縄文の再発見と沖縄 対談

『岡本太郎の宇宙4 日本の最深部へ』より⑧

 弥生時代の前に先立つ、単なる古い遅れた時代ではなく、エネルギーに満ちる芸術を生み出した時代として著者は縄文を再発見したことで知られるが、鶴見俊輔との対談で、沖縄と縄文を比べて語る場面がある。鶴見が岡本の著作から読みとれるところによれば、縄文は徹底的に執拗に追い詰める精神を感じる一方、沖縄は簡素であり、みそぎを済ませればきれいさっぱり忘れる信仰があり、両者は対立するモーメントを持つと指摘する。

 これに対して、著者は二つに違いはないと断言する。縄文土器は徹底的に何もないところから精神力で生み出される。沖縄の信仰は土と石しかない根源的な透明さを備えつつも、いざ文化的な表現となると繰り返す執拗な面があり空間的でもあると語る。また、鶴見は曼荼羅に関連して綴った「わかられたいけれど、わかられたらおしまい」という岡本の心境について疑問を投げかけるが、これについても彼は両者が矛盾することはないと説く。

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