「うた三線」に強い疑念 「沖縄文化論」
『岡本太郎の宇宙4 日本の最深部へ』より⑩

沖縄民謡で三線演奏はつきものであり、うたとは切り離せず「うた三線」という言葉がよく使われる。ところが、著者は八重山で三線を弾く奏者に対して、三線抜きで歌うように頼む。三線の演奏を「堕落」「装飾的」と感じたのである。突拍子もない思い付きにもみえるが、沖縄をはじめ著者が日本を駆け巡る旅の目的を思い起こせば納得できる。日本文化の源流を探しているのだ。
八重山の民謡はもとをたどれば、労働の苦痛を紛らわすための「労働歌」が多かったといわれる。米国では農作業の苦痛から一時的にでも逃れるために歌った労働歌がブルースの原形になった。労働歌以外にも八重山では過酷な税、役人の圧政や心を蝕む貧困など生活の苦しみから漏れ出る心の叫びがうたになった。当時はもちろん三線など楽器演奏は伴わず、生の歌声だけだったはずだ。
後世になりバリエーションや娯楽性をまとうために楽器の演奏がつけられたが、生活のナマの叫びが人から人へ伝えられた形をそのまま聞くべきと著者は考える。もともと文字を持たず声だけで口伝えしたから切実さがそのまま込められている。混じりけなしの純粋な芸術論である。ただ、ナマの歌声だけのうたは商業的には成り立たず、生活や社会の環境も大きく変わり、ほとんど消え去ることはすでに彼が訪れた1950年代にも予感している。せめて歌詞だけも残そうと考えたのか、八重山の生活をうたった歌詞が本文中にいくつも紹介されている。

