薄れゆくフクシマの記憶 『チェルノブイリの祈り ――未来の物語』

(スベトラーナ・アレクシェービッチ著 松本妙子訳)①

 東京電力の柏崎刈羽原発が再稼働するというニュースを耳にした。東電としては福島第1原発の事故以来、初めての再稼働である。原発事故の引き金になった東日本大震災からまもなく15年になるから、もうそんな時間が経過したのかという感慨が湧くとともに、原発事故に対する印象がかなり薄くなっていることを実感した。

 震災直後はテレビの映像に憑りつかれた。すべてを飲み込む津波の威力は衝撃的だったが、それ以上に恐怖を感じたのが原子炉の暴走だった。報道などから、さまざまな手立てを実行しても核燃料の過熱・メルトダウンが止まる気配はない。このまま原子炉の暴走が進めば何が起こるのか。はっきりした予想図は描かれないが、日本の風景が一変しかねないことは薄々感じていた。米国の友人は電話をかけてきて、米国のメディアは東京が放射能で汚染される恐れがあり日本を脱出するように促していると伝えてきた。

 息が詰まりそうなテレビの前を離れて外に出ると、暖かい日差しの中で子供たちが笑い声をあげるのに対してひどく現実感がなかったことを記憶する。あれから15年近くが経過し、福島原発周辺や事故に関連した人々を除けば、日本では当時の記憶や感情がかなり薄れつつあるのだろう。このままでよいかと思いながら本書をもう一度読み始めた。

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