時々、ドウーチュイムニー(沖縄方言:ひとりごと)その1
四階建てアパートの三階の一室に我が住まいがあり、そのベランダからの視界は雑木林で覆い尽くされている。
ベランダの手すりから下を覗くと、密な雑草と樹木がアパートとの境界を溢れんばかりに繁茂し、そのまま視界を頭上へと移せば、黒々と緑を湛えた樹冠のきわから、青空と雲がようやくその存在を許されて、こちらを覗き込んでいる有り様だ。
陽光を求めて伸びてきた樹木の枝が、ついにはベランダの手すりにまで到達したこともあった。
これには、沖縄の毒蛇であるハブの夜這いに遭ってはまずいと、早々に枝を切り落とした。
アパートは小高い丘陵地の斜面に据えられていて、本来ならもっと眺望の良い設計も可能だったのでは?と疑問符も浮かぶのだが、まるで深い森の別荘のような趣きのあるこの景色が私は好きだ。
しかし、時として我が住まいの立地の現実を思い知らされるものがある。
それは上空をいささかの遠慮もなく、騒音を残して通過する航空機の存在だ。
わずか3キロ先の普天間飛行場へと飛来するオスプレイなどの軍用機である。
彼の飛行場と我が住まいの間には、嘉数高台、前田高地など沖縄戦での激戦地があり、この住まいのアパートの丘陵地だって激戦地であったに違いないだろう。
過去、ベランダの向こうのしげみの中では戦火から逃れる住民や、日本やアメリカの兵士たちが、息を潜め、闇夜で共に願うのは戦災の終結であり、帰郷そして愛する家族との再会であったろう。
6月、沖縄慰霊の日の数週間前からセミが鳴き始めた。ナービカチカチ(リュウキュウアブラゼミ)だ。7月になってからはサンサナー(クマゼミ)も加わり、かなりうるさい大合唱、鳥たちも負けじとこれでもかとツイートする。生命の宴である。
(Y.Y)