ウイズトランプの時代と沖縄
トランプ米大統領の新型コロナ感染が発表され、11月投票の米大統領選はますます先が読めなくなっているが、トランプ氏、バイデン氏のどちらが当選するにせよ、トランプ的な空気が世界を覆う情勢(ウイズトランプの時代)は大きく変わらないだろう。
ここでいうトランプ的な空気とは自国第一主義を意味する。個人の立場に置き換えれば、自分と親しい仲間が最優先であり、あとはどうなろうと気にしないという考え方。自由主義と合理主義を突き詰めれば、行き着く場所である。自由を極端に解釈すれば、「オレがしたいことをして何が悪い」の発想になる。それを押しとどめるのが、公正・公平のモラルのはずだが、何事も損得勘定で計算をすれば「モラルにどんな得があるのか」となってしまう。
公平・公正の姿勢を失い、少数意見の尊重や情報公開の原則を無視すれば、多数決の原理は多数者の横暴に堕す。どんなに公平・公正さを欠いていても多数決で決め合法化されるのならば、誰か1人を憂さ晴らしや血祭りの対象にすることも可能。安全保障における沖縄の位置づけが、それに近い状況になりつつある。
日米同盟にもとづく安全保障は大切だけれど、どの地域も米軍基地を受け入れたくない。ではこれまでどおり沖縄県内にとどめ県外に移転しないことがベスト。沖縄県以外の都道府県が賛成すれば、それが多数決の原理で正当化されてしまう。県内から「普天間基地の県外移転を」の声が出ても、共感するどころか近年は「非国民」「親中勢力に操られている」などの非難が浴びせられる。自分の利益や権利は1ミリたりとも譲ることはせず、他人の利益や権利には完全に目をつむる。米国ほど露骨ではないが、トランプ現象が静かに日本でも進行している。