海外に出て初めて日本人になる
日本では日常生活の中で外国人に接することはほとんどない。周りは日本人ばかりだから、日本人とは何か意識することはない。ところが、そんな日本人が海外に出ると、暮らしのあらゆる面で日本との違いに気づき、日本人を意識せざるを得ない。こうした体験がもとで、海外へ移住した日本人の口から「海外に出て初めて日本人になる」という言葉がもれるようになった。
「初めて日本人になる」は当然といえば当然の気づきであるが、長年島国に暮らし外国人との交流が少なかった歴史に対する謙虚な視線が感じられる。海外ではあくまでも日本人は少数者であり、多数者の異文化とどう向き合っていくべきか思案するとともに、日本人とは何かという永遠のテーマに向き合う姿勢がにじむ。
これは現在でもあてはまるのだろうか。今年に入って新型コロナの感染が広がる前までは、海外からの観光客が急増し、日本国内にいても外国人に接する機会は各段に多くなったが、聞こえてくるのは「外国人が日本の素晴らしさに惚れ込んでいる」という自画自賛の声か、外国人のマナー違反をなじる声かのどちらか。異文化との摩擦から、日本人とは何かと真摯に問いかけることはない。外国人が称賛する日本的なものは、大半の日本人が今では見向きもしなくなり廃れかかっていることに対する反省もない。
明治維新以降、まがりなりにも経済的に日本が発展したのは、「海外に出て初めて日本人になる」の姿勢で、外国とぶつかり合い交流の礎を築いたおかげではないだろうか。新型コロナの影響によって、海外からの観光客も海外への観光も事実上、不可能になっている中、「日本再発見」が頻繁にささやかれる。結局は日本人による日本の自画自賛に行き着かないか不安である。(T)