大城立裕著『まぼろしの祖国』読書日記①
200ページを読んだところで立ち止まり振り返ってみる。太平洋戦争後、沖縄が本土からの分離が正式に決まった1952年前後が小説の舞台である。米軍から物資を盗み取る「戦果あげ」の場面から、本格的に舞台の幕があがる。終戦直後、主要な都市や町が廃墟と化す一方、外部との交易が禁じれ、物資が圧倒的に不足していた時代、米軍で働くか、「戦果あげ」に走るか、生きるための術(すべ)は限られていた。だが、沖縄の経済が少しずつ回り始め、外部との交易も復活してくると、「戦果あげ」はうまみを失い、行動を共にした者たちは、新たな生きる術を求めて別々の道を歩み始める。
戦前は辻に身売りされ戦後は小さな商店と部屋貸しを営むシングルマザーとその子供、沖縄への関心の薄さに打ちのめされる日本への留学生、シベリア送りを経験したスクラップ業者、戦果あげから転身した警察官などなど、登場人物の数はかなり多く、しかも多様である。いつの時代も、社会の大きな節目をどう受け止めるかは人によって異なるが、この小説の舞台の沖縄ほど複雑な時代はないだろう。
まだ、正式に日本に組み込まれて70年足らずの時期、再び日本から切り離される。戦争によって形あるものはもちろん社会制度や慣習も破壊され、いきなり米国人が支配者として乗り込み君臨する。しかも、同じ日本人であるはずの本土の人々が痛いほど無関心の一方、隣人である奄美黄島の人々に対しては冷たい視線を投げかける。奄美大島は戦後の早い段階で日本へ復帰するものの、経済は苦しく収入を求めて沖縄に流れてくる。米軍支配に抵抗する手段として、社会主義など新しい思想も浸透し、若い知識人たちは沖縄の進むべき道をめぐり悩む。この時期の沖縄の多様性をあぶり出しているが、これを小説としてどうまとめていくか注目しながら読むことになろう。(T)