どこまで被害意識を認めるか ベンジャミン・クリッツァー著『モヤモヤする正義』②
前回の投稿(2025年2月15日付)では、従来ならば差別意識が疑われるような主張についても「言論の自由」をたてにして大っぴらに語られることに触れた。このような主張を禁止するのではなく、「モヤモヤ」した感情を抱きながらも粘り強い反論で封じ込める必要があるとするのが著者の基本姿勢である。

また、「モヤモヤする正義」の現状として、精神的な「被害」をどこまで認めるか曖昧になっていることも著者は指摘する。一例として取り上げるのは「マイクロアグレッション(微小な攻撃)」である。マジョリティ(多数派)が「無意識の偏見」を抱いたり、ステレオタイプを通じた理解をしたりすることによって、マイノリティ(少数派)を精神的に傷つけることなどを意味するという。
かつては組織における中年管理職が若い女性職員とのコミュニケーション・ツールと主張してきた動作や言葉の多くが、いまや「セクシャルハラスメント」として禁止されている。セクシャルハラスメントについては明確な基準が設けられ、議論の余地は少ない。しかし、「マイクロアグレッション」はマイノリティが精神的に傷ついたと感じる以外は、基準がかなり曖昧であり議論を重ねる必要がると著者は指摘する。日本に住む外国人に「納豆食べられる?」と尋ねることもマイクロアグレッションになりうるとする専門家もいるという。