日本文化の基層とは何か 対談「縄文の文化こそ、日本の心のふるさとだ」

『岡本太郎の宇宙4 日本の最深部へ』より⑨

 縄文といえば、狩猟・採取の生活が続く遅れた時代であり、弥生時代に入り稲作が導入されて富が蓄積され社会が発展し国家の成立へつながる。というような話を学校の日本史の授業で習い、長らく信じてきた。しかし、著者の見方はまったく違う。

 狩猟・採取では毎日十分な食にありつけるかどうか分からず、体力と知力を全部使って自然と向き合うしかない。特に狩猟となると、獲物と食うか食われるかの戦いになる。肉体と魂を緊張させる日々であり、動物たちとのイノチの交歓も生まれる。そこから生命力のほとばしりを感じる縄文土器などが生まれる。

 しかし、弥生時代に入り農耕生活が中心になると、いかに自然の変化を読み、稲などの農作物に対して丹念で細かい作業を施せるかが重要になる。生活を安定させるために官僚的な計算を重ね正確に実行することが求められる。イノチをほとばしらせるような挑戦も歓喜の時間も必要ない。

 本書の座談会では、こうした見方をとる著者に加えて梅原猛と小松左京が、明治以降の日本について議論を展開させる。農業社会から工業社会に転換したものの、農業社会と変わりなく新たな挑戦や変革を嫌う閉鎖社会が続く。さらに、日本は中国や西洋など海外から高度な文化を受け入れてきたため、外来に対するコンプレックスが強く本来の日本人精神を見失いがちであるという。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です