絶望を敏感に感じとる子供たち 『チェルノブイリの祈り ――未来の物語』③
(スベトラーナ・アレクシェービッチ著 松本妙子訳)

第2章「万物の霊長」では、女性教師が子供たちについて語る場面が印象的だ。子供といえばはしゃいで走り回ることが常のようなイメージがあるが、彼女によれば、チェルノブイリの小学校では事故後、児童たちはいつも生気がなく青白い顔をして疲れた様子。遊ぶこともふざけ合うこともない。学ぶ意欲もなくなっている。整列していると気を失って倒れ、15分、20分と立っていると鼻血を出す。話題にすることといえば、死について。死は恐ろしいか、恐ろしくないか。5年生の女子が、これといった理由の見当たらないまま首を吊ることもあったという。
これらの記述を読むうちに、我が国にも重なる部分があるのではないかと思った。社会に絶望感や閉塞感が広がると、大人は惰性でなんとか乗り切れても、敏感な感性や固まらない自我を持った子供たちは心と体を蝕まれ衰弱していく。生気と希望を失う子供たちを見て、鈍感な大人たちが「大人しく行儀がよくなってよかった」などと安心するような社会には未来はないだろう。そうした子供たちが社会の将来を担うのだから。

