沖縄の改姓改名運動
琉球新報社会部編『昭和の沖縄』は、「正月」「商業活動」など47のテーマを設け、それぞれについて戦前の昭和を中心に沖縄の歩みを振り返る。事始めや習俗の移り変わりのように、ほのぼのとしたエピソード集のテーマがある一方、沖縄が苦しんだ差別や貧困を告発する重いテーマもある。
中でも目をひくテーマが「改姓改名」だ。本土に渡った沖縄出身者が名前を変えることがよくあったという。例えば、女性ならば「ウシー」を久子、「カマド」を安子に変更。苗字ならば、宮城をミヤグスクからミヤギへ、金城をカナグスクからキンジョウへと読み替えたり、渡久川を徳川に、仲村渠を仲村に改姓したりした。沖縄独特の名前や苗字から本土で一般的な名前や苗字にすることのよって、差別や偏見の対象になることを避けたい気持ちがあった。
これは沖縄出身者の一方的な思い込みではなく、実体験の裏付けがある。「なにかにつけて、琉球人、琉球人と馬鹿にされた」「沖縄ブタとののしられ、着物が違う、色が黒いなどと軽蔑の言葉を投げつけられた」と証言する人もいたという。本土の紡績工場で働いた沖縄女性の境遇についてまとめた「紡績女工」でも、「“琉球”と余りにばかにされるので1年で逃げた」「差別するので沖縄出身者が集まりハンストを行い、待遇を改善させた」などの声を載せている。
沖縄の貧困に関する項目も少なくない。「商業活動」の項目では、県外出身者である寄留商人が戦前の沖縄経済をにぎり、特に砂糖取引は県当局と結託し、莫大な利益をせしめたと指摘。「ソテツ地獄」の項目は、第1次世界大戦終結後に襲った昭和恐慌で、処理方法を誤れば中毒死するソテツで多くの沖縄の人びとが飢えをしのいだことが紹介している。(T)
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