旅に出て虚飾をそぎ落とせ!

 新型コロナウイルスの影響で家に籠っていると、よく旅をしていた20代から30代にかけての頃を思い出す。旅をしないと干からびそうだった。押し出されるように国内のあちこちや海外に出かけた。今考えれば、何かの熱にうなされていたのかもしれない。いつからそんな病に取りつかれたのだろうか。

 ホコリをかぶった記憶のページをめくっていくと、藤原新也の著作の数々が現れる。最初に読んだのは『全東洋街道』だったろうか。イスタンブールを出発して日本まで地を這うように旅した記録だが、まずふんだんに盛り込まれている写真に目がいく。外国の観光写真と明らかに異なり、美しい風景やエキゾチックなだけの人物、華やかな料理はない。

 全体に写真は薄暗く、時には重苦しく不気味な雰囲気をまとう。すえた臭いさえ漂ってきそうだ。時には人やモノは無限の空間へ粒子となって溶けだしそうなほど軽い。写真の合間に差し入れられた文章は散文でありながら限りなく詩に近い。日常から生まれる騒々しい雑踏の中から、むき出しの命の呟きを聞き取り文字に書きつけている。人間は虚飾をはぎ取れば、こんなものだ。そんな声が聞こえてくる。

 振り返れば、日本は虚飾に満ちている。少しでも不快な感情を起こすものは隠すか細切れにして日常から葬る。自分自身も傷つかないように、張りぼての建前や理屈、着飾り、肩書などの鎧をまとい防御する。他人を傷つけないように、言葉や仕草もオブラートにくるむ。しかし、鎧には所々に隙間があり、敏感な肌はオブラートにくるんだ言葉や仕草でも傷つく。しかも鎧のおかげで感覚は鈍る上、その重さに疲れ果てる。長年、日本で暮らすうちに皮膚にしみ込んだ虚飾をそぎ落とすために旅に出なければと焦った。(T)

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