ヒットメーカーに見る自分の見切り方

 昭和を代表する数々のヒット曲を手がけた筒美恭平氏が今年10月に亡くなり、彼とコンビを組んで多くの歌謡曲を世に送り出した作詞家・松本隆氏をインタビューした記事や番組を何度か目にした。その際心ひかれたのは、同氏が20代の若さでロックバンドのドラマーから歌謡曲の作詞家に転身したことだ。そのロックバンド以外で演奏する気にはなれない一方、結婚し子供もできて家族を養う必要に迫られたと本人が背景を語っていた。

 音楽には変わりないとしても、ロックバンドのドラマーと歌謡曲の作詞はかなり離れている。それまで積み上げてきたものを捨てて別の道を歩むことになる。中高年になれば、ある程度やりつくして限界を感じることもできよう。しかし、20代ならば自分の才能を信じたい気持ちも強いはずだ。そこを冷静に判断できるところが松本氏の才能の一つだろう。まさに、何かを得るためには何かを捨てなければならいという格言そのものだ。

 それにしても自分が20代だったら、同じような方向転換ができただろうかと思った。たとえ家族を抱えていても、まず無理だろう。20代は、根拠なく自分の才能を信じきっていた。最近はやたら「夢を持て」というメッセージが巷に氾濫しているが、一方で自分を冷静に見て方向転換することも生きるためには必要である。ただ、学校では教えることはできず、現実社会の中でもまれながら身につけるしかないのだろう。(T)

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