歴史をめぐる沖縄と本土の溝

 昨年(2020年)亡くなった作家・大城立裕氏の『小説琉球処分』を最近読み始めた。琉球処分とは、1879年に琉球王国を解体し日本の一県である沖縄県を設置するまでの一連の措置を指すが、本書は上下巻の文庫本で計1000ページを超える分量があり、沖縄県の原点となった歴史を小説として残そうとする熱意が伝わる。

 小説としての感想については後でまとめるが、近年は日本国内で歴史を軽んじる風潮が蔓延するのをひしひしと感じる。一つには、科学技術が目覚ましい勢いで進化し新しい産業や経済の成長に結びつく一方、歴史がそうした経済効果を生まないことが際立つせいだろう。さらに、そうした技術革新が進み伝統的な日本が解体される現代社会に不満をいだく一部の人々が最後の拠りどころにする「日本人の誇り」にとって、歴史は目障りなのかもしれない。「日本人の誇り」をテコに政治的な影響力を広げたい人々も少なからずいるようだ。

 近年の政治と歴史の関係を象徴するのが、故翁長雄志県知事と官房長官時代の菅義偉氏の会談である。すでに、翁長氏の著作などを通じて知られているが、辺野古新基地建設をめぐる会談で、翁長氏が沖縄戦や米軍統治による苦難の歴史に触れると、菅氏は「私は戦後生まれで、歴史を持ち出されても困る」とかわし、記者会見では「戦後は日本全国が悲惨な中でみんな大変苦労」と語ったという。

 「みんな大変苦労」の一言で、戦後史をいっしょくたにするなら歴史を学ぶ必要はない。一人ひとりの違いや地域ごとの事情を勘案していたら手間は膨大になるのは確か。政治家の立場とすれば、工場で繰り広げられる大量生産や大量処理のように、人格も歴史も地域も全部同じとして扱った方が効率的であり、政治家としてはだいぶ手間が省ける。しかし、その手間こそが政治本来の役割ではないか。手間を省いた先に、人間一人ひとりの幸せや民主主義の未来はあるか。

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