中央に翻弄される離島の生活 三木健著『八重山近代民衆史』

 琉球王国時代に人頭税などの過酷な収奪に苦しんだ八重山の民衆は、明治時代に入っても時の政府の身勝手な意向に翻弄され続けた。琉球王国が解体され日本の領土に編入された翌年の1880(明治13)年には、中央政府は中国国内の商業権益と引き換えに、八重山・宮古諸島を中国に譲渡する条約案を提示する。結局はこの条約案は調印されず八重山は日本領にとどまるものの、王国時代の旧支配層からの反発を恐れ、民衆に重税を課す王国時代の旧体制は維持されたままだった。

 さらに、最南端の島として国防の観点から、地元住民の利益とは無関係に、砂糖産業の育成や農耕地の開拓が推し進められる。しかし、日清戦争によって台湾を獲得し国境が南へ移ると、中央の政財界関係者は八重山への関心を失う。こうした離島の運命は戦後になって大きく変わったとはいえまい。中央によって一方的に進められた近代化の歩みを、本書は八重山の視点からたどる。(T)

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