旅する独学者の気概に心震える 谷川健一著『妣の国への旅』

 沖縄の民俗や伝統に関心があればその名を知らない人はほとんどいるまい。それだけに、著者は大学や研究機関にまったく属さず、多くの著作の発表してきたことはまったく意外だった。しかも、子供の頃から病弱の身であり、成人してからも病気に悩まされた。自分以外は頼らずに民俗学を極めようとする一途な思いがひしひしと伝わった。

 かつては、大学や研究機関に属さず学問を追求する人は多かったと本書で語る。「南方熊楠は大学予備門中退である。宮本常一は師範学校卒。一応大学を出ていても独学者の歩みをつづけた人には柳田国男、折口信夫、白川静の諸氏がいる」。「現在の民俗学は『落日の学』」という指摘に頷く。「原因の一つは、民俗学者の多くが大学に職を得て、旅をしなくなったからだと思う」。生活の安定を優先すれば、研究室に籠って資料や情報を集めることに軸足が移る。しかし、そこに蓄積されるのは干からび無味乾燥な暮らしや歴史の残骸がほとんどだろう。研究の成果と呼べても、人を感動させることはできない。

 また著者は「民俗学はもっとも文学に近い学問と信じているが、現在の民俗学者が歌心をもっていないということは、文学としての民俗学を捨てることを意味する。私に言わせるとその分だけ、現在の民俗学はもっとも優れた部分から逸脱したのである」とももらす。研究分野は異なるが、記録文学でその名を知られた上野英信は日頃から「時間を惜しむな、カネを惜しむな、命を惜しむな」をモットーにしていたという。人の心を動かすのは、情熱や熱意であることを改めて思う。(T)

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