沖縄と補陀落僧のつながり 角幡唯介著『漂流』①

 本書は沖縄の漁師を追ったノンフィクションと聞いて読み始めたが、思わぬ名前を目にした。日秀上人である。観光ガイドをしている関係で、那覇市内に日秀上人が揮毫したとされる碑を紹介するなど時折、その名を口にしたり耳にしたりしていた。本土から気まぐれで沖縄に来た偉そうな坊さんくらいにしか考えなかった。どこからやってきたか、どのような人物か知らず、特段調べようという気にもならなかった。

 ところが、本書の中に、日秀は16世紀、熊野(和歌山県)の那智海岸から船出した補陀落僧であり、7日間波に揺られた後、金武町の海岸にたどり着いたという記述があった。ネットで検索してみれば、日秀と補陀落僧に関する多くの資料が現れる。知らないのは自分ばかりである。

 補陀落僧とは、海上の彼方に観音菩薩がいる浄土を目指し舟で渡ろうとする僧侶であり、一種の捨て身行の実践者らしい。中世から近世にかけて補陀落僧による船出が全国各地で行われたが、中でも熊野那智でさかんだったそうだ。船は1カ月程度の食糧と油を積むが、外から釘で打ちつけられて中の僧侶はひたすら経を唱え続けるという。

 現在でも宗教にまつわる荒行が実践されると聞くが、たいていは陸の上。限界に達すれば途中で脱落することは可能であり、止めるという意志を示さなくても気を失えば自動的に荒行は停止する。しかし、海の上では脱落は許されず、食糧が尽きて飢え死にするか、海に飲み込まれるか以外の選択肢はほとんど奇跡に近い。海で往生することを目指した行為といえよう。

 日秀の伝説が本当ならば、限りない奇跡のうちに沖縄へたどりつき、どんな感情を抱いて再び生きる道を歩んだことだろう。彼の当時の心境に少しでも触れようと想像力を働かせると、新たな感慨がわく。と同時に、いくら信仰心が篤くとも、暗く小さな小舟でただ一人、海の彼方の浄土を目指そうとする行為に計り知れない絶望の影を感じ、そうした行為を生む当時の世相に恐ろしさを覚えずにはいらない。

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