意識を持つがゆえの弱さ  『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』③

 500ページを超える本書をようやく読み終えた。消化できない部分は多いものの、非常に興味深い論点に心とらわれる。その一つは、幻聴や幻覚に襲われるという、現代では精神病とみなされる状態は、脳の中に「二分心」が存在した時代に部分的に戻ったとする仮説だ。

 「二分心」時代とは、脳の右半球が神の声を作り出し、左半球がこれに従っていた古代文明の時代である。これだけ聞くと、唐突な仮説に聞こるだろうが、古代文明が残した彫刻や文献、精神病患者に関する知見などに加え、正常な者でも極限状態に置かれると幻聴や幻覚を経験する事例や、宗教儀礼や催眠状態に関する分析を提示されるうちに、「二分心」仮説に読者は心ひかれていく。

 では、本書のタイトルにあるように、なぜ右半球の神の声が聞こえなくなり(神々の沈黙)自分の意識を持つようになったのだろうか。本書では明記はされていないが、著者の説明に補助線を引いていけば文明の高度化にあるという結論に行き着く。右半球の発する神の声は時に極端な命令を発したり支離滅裂な行動を導いたりする。小さな集落程度の社会は、それでも何とか立ち行くこともできるだろう。

 しかし、社会が大規模になり複雑化すると、それでは機能不全に陥りかねない。意識の力で右半球を統御する必要が生まれたのだろう。やがて右半球は幻聴や幻覚を生まなくなるが、芸術や直感など別の形で我々の人生にかかわるようだ。脳の左半球に損傷を負って言葉をしゃべれなくても、右半球を使って歌を歌うことが可能など、示唆に富む症例が紹介される。

 そして、意識を獲得した人類史を俯瞰する分析を著者は提示する。人間は意識を獲得することによって文明を発展させたが、一方で「神の声」を失ったことによって絶えず不安がつきまとう。現代においても占いが盛んであったり、無条件で従えるカリスマを求めたりするのも、そのよい例だろう。著者は、「神の声」を失った人類の二大発明が宗教と科学と指摘する。この二つが現代社会で人類の心に安らぎを与えているとともに、これらに過剰に依存するかかることは、長年の人類史を経て獲得した意識を再び放棄しかねないと警鐘を鳴らす。(T)

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