沖縄と東北に見る日本精神の基層  赤様憲雄著『岡本太郎の見た日本』

 東北や沖縄といえば、かつては日本の辺境地であり、奈良や京都が中心だった。交通機関の発達によって地理的には辺境・中心の感覚はだいぶ薄れたものの、日本文化の源流といえば奈良・京都というイメージの強さは今も続いているだろう。こうした固定観念を逆転させ、東北や沖縄をめぐりながら、日本人精神の基層を探す太郎の姿を浮かびあがらせたのが本書である。

 東北では「鹿踊り」「なまはげ」のように血の匂いさえ感じさせる荒々しさや、「イタコ」「修験者」がまとう独特な神秘主義、浄と不浄の混合に焦点を当てる。沖縄では、権力者の搾取や自然災害によってぎりぎりまで削られた庶民の暮らしが醸し出す美しさや、御嶽に漂う「何もない」清浄さを発見し感動する。いずれも、生命力に満ちた日本人の精神的古層がここにあったのではないかと推察するとともに、以下のように従来の歴史観に強い批判を加える。

 「今日までの歴史は、朝鮮・中国との関係ばかりに考察の重点をおき、東洋文化圏の東限として日本を考えていた。われわれは法隆寺を誇り、仏像・仏画を誇る。だがこれらはむしろ、古代中国の文化遺産ではないか。…はたして、そういう寺や仏像に、われわれは神経の末端まで納得しているかどうか」(T)

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