米軍基地の沖縄集中はいつ始まったか 川名晋史著『基地の消長 1968-1973』②

 沖縄に関する大きな誤解の1つは、米軍基地の集中は終戦直後から始まっていたという考えである。これを信じているからこそ、米軍基地の沖縄集中は当然で軍事的な理由の裏付けがあり、本土で沖縄の米軍基地は受け入れられないという論調がまかり通りやすい。「米軍基地が沖縄にあるのは仕方ない」信仰は意識的に広められた可能性は否定できないが、いずれにせよ、ほとんど疑われることなく多くの人々の脳裏にこびりついている。

 まず必要なことは冷静に歴史を振り返ることだ。終戦後しばらくは、本土と沖縄を比較した場合、圧倒的に本土の米軍基地が多かった。それが大きく変化したのはまず1950年代後半。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、戦場に近い本土では米軍基地の強化が図られたが、日本国内で幅広い反基地運動を繰り広げられることになった。これに危機感を抱いた米軍は海兵隊など本土に駐留し住民の反発を招きやすい地上部隊を沖縄などに移転させた。以後、沖縄の米軍基地では海兵隊が主力部隊になる。

 さらに、本書で焦点が当てられる1960年代後半も、原子力潜水艦の放射漏れ事故や戦闘機の墜落事故など起き反米・反安保闘争が活発化する一方、米国政府内の事情としてベトナム戦争の戦費拡大などで膨らむ財政赤字を削減するためにも在日米軍基地の縮小・統合が政治課題になった。これを受けて日本側の財政的な協力も得て、住民の反発を和らげるためにも関東地域を中心に基地を縮小・統合が進められた。一方、本土復帰を控えた沖縄では本土と比べると、基地の削減は進まず、機能的には強化された面も見られた。本書はこの時期の沖縄について「政治的な問題を抱える基地の収納先として位置づけられていた」と結論づけている。

 加えて注目すべきは日本政府の態度だった。在日米軍基地の縮小・統合が進み過ぎ、安全保障で日本が米国から見捨てられないか不安を抱いていた。「日本政府は国防総省の整理・統合計画に対する警戒心を隠さなかったし、追加の基地削減が行われないよう米国側に釘を刺していた。本土から近からず遠からずの位置にある沖縄は、日本の不安を鎮める重要な解だった」。結果的に、米軍基地の沖縄集中も日本政府も望んだ結果といえる。

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