なぜ物語を必要とするのか
文章を書き本づくりにかかわる者として時々、小説を読む。感心すること、感動することは何度もあったものの、どこかしっくりしない感情を頭の片隅に抱えていた。なぜ物語を読むのか。なぜ、事実や情報をまとめた本が大量にある中、なぜわざわざ架空の話を読むのか。この問いに対するはっきりした答えが見つからなかった。
だが、河合隼雄著『中空構造日本の深層』を読むうちに、答えの輪郭が浮かび上がったような気がした。自己流に解釈すれば、科学によって物質レベルにこま切れになった人間の営みへ、大きな意味を吹き込み、潤いと輝きを与えるために、物語が必要なのだ。
科学の発達によって、世界で起こる出来事や生命の仕組みを分析して、将来起こることを予測し備えることができるようになった。その一方、神も妖怪も幽霊も幻想や妄想にすぎず、人間の営みも自己防衛本能を基準に読み解かれ、分子レベルの結合と離合の方程式に置き換えられる。そうした科学の宣告を頭の表面部分では納得しながらも、深層部分では受け入れていない。だから、科学がいくら発達しようと宗教は残り、魔法や妖怪の物語がはやり、無宗教にみえる現代日本にも「アイドル(偶像)」が次々と誕生し「信者」を集める。
もちろん、これですべてがすっきりしたわけではない。感覚的に物語が「人間の全体性の回復」につながると思うが、どのようにして心の深い部分の潤いや輝きにつながるのか今一つ見えない。どのような物語がこれからの時代、必要とされるのか。このあたりの答えは各自の心の問題であり、自分自身で探すしかないのだろう。(T)