八重山が見せる別の顔

 石垣島をはじめとした八重山諸島は今でこそ、観光客はもちろん県外の移住者を引き付けるリゾートアイランドの一面を誇るが、琉球王国の時代から長く、多くの移住者を苦しめ葬ってきた歴史を持つ。主な原因はマラリアであり、安易な人の立ち入りを拒むジャングルであった。戦後しばらくは、過密人口の解消や食料の増産を図ろうと政府は八重山の開拓を積極的に後押しした。沖縄では終戦を機に県外から続々と引揚者が戻る一方、多くの土地が米軍基地のために奪われたこともあり、広い土地を求める人々が八重山各地に移住を始めた。しかし、マラリアに加え、資金不足、道路や水道など基盤整備の遅れ、台風や干ばつなどの自然災害もあり開拓は思うように進まず、移住地を去る人が相次いだ。金城朝夫『ドキュメント 八重山開拓移民』は、そんな歴史をつづっている。(T)

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