日米中の間で揺れた首里城を展示
正殿や南殿など主要な建物が焼失した首里城火災から間もなく1年になるが、そろそろ首里城をどう復元するかだけでなく、首里城を通して何を伝えるべきか議論する時期に来ている。そういう意味では、沖縄タイムスに連載されている記事「首里城再建を考える」が興味深い。
例えば、10月7日付の第5回で紹介された沖縄神社。新たに日本の領土に編入された沖縄を、宗教の面でも天皇を中心とした祭祀体系に組み入れようと1925年に首里城内に建設された。沖縄戦で沖縄神社は破壊されたものの、戦後、首里城に近い御嶽「弁が岳」で再興されている。また、19世紀半ば、琉球国がアメリカ、フランス、オランダと締結した修好条約の正本を展示せよと、沖縄近現代史家の伊佐眞一氏が訴えた第3回は、なるほどと思った。
振り返ってみれば、焼失前の首里城では琉球王国の華やかさばかりが強調され、沖縄の近現代史はほとんど抜け落ちていた。現代の沖縄を考える上では、近現代史を知ることは欠かせないが、首里城がその主要な舞台になっていたことは、明らかである。19世紀半ばの江戸時代末期以降、琉球国に迫る欧米列強にいかに対応するかは首里城が中心となった。
1879年には武力によって併合されたときはもちろん、その後の日本への同化政策でも、首里城に神社が建てられるなど象徴的な存在となった。沖縄戦の最中には日本軍の司令部が首里城の地下に設けられる。戦後は、沖縄を占領した米軍が首里城跡に琉球大学を開設する。こうした歴史を強調することに対しては、「政治的中立性」などをタテに政府や保守派から異論が出そうだが、沖縄からの視点をもとに、再建首里城の展示が構成されることを期待したい。