心の謎を解き明かす野心的な試み 『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』①

 10年以上前に購入しながら数十ページ読んで放置してしまった。そのまま読み進めても興味が湧くとは思えなかったからだ。ところが、最近何の気はなしに、本の上に積もった埃を払って手に取ったら、引きつけるものを感じ再び読み始めた。自分の中で関心のベクトルが10年以上前と比べ変わったのかもしれない。自分の変化を感じながら読み直しができるのは紙の読書の面白さだろう。

 さて、本書は、いつ、どのような形で人類に意識が生まれたかという謎を解明することが目的である。直接的な証明は不可能であり、推論につぐ推論を重ねていくしかない。途中で出口のない迷路に入り込みかねない難事業だろう。著者のジュリアン・ジェイスンズ氏はもともと心理学者だが、この謎に挑むため、脳科学や文献学、歴史学、考古学など幅広い分野に研究の幅を広げた。

 本書の前半部分で興味深いのは、我々の行動のうち、どこまで意識がかかわるか問いかける部分だ。例えば、ピアノやギターなど楽器を弾く時、ほとんど無意識に指を動かす。次にこの鍵盤や弦を押さえようなどと意識するようでは滑らかな演奏はできない。スポーツの動作も、一つひとつの動きを脳から指令を出しているようでは素早い動きを展開できない。

 著者のこうした指摘を受けるうちに、意外と私たちは意識を使わないことに気づく。意識とは何か突き詰めて考えるうちに、ある事実に思いつく。現代の暮らしは、意識をより使わないスタイルに向かっているのではないか。コンピュータをはじめ高度な技術や情報に日々触れる分、我々自身の思考が進化・高度化しているように思い込む。

 しかし、高度な技術製品の仕組みを理解して使うのではなく、よく分からないけど、こう操作すればこう作動するという操作法を覚え、機械が提供する情報を条件反射的に利用しているにすぎない。コンピュータを使うことによって結論に早くたどりつけるが、途中で想像力や思考をめぐらす時間は省かれる。今後、AI などがさらに浸透していけば、意識せず条件反射的に行動する部分はますます増えるだろう。(T)

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