子供の姿に時代を読む 『眉屋私記』『土の中の子供』
社会の歪みは一番弱いところに現れる。その通りならば、社会の抱える矛盾のしわ寄せは子どもたちが最も受けることになる。戦前の沖縄を流転する庶民の姿を描いたノンフィクション、上野英信著『眉屋私記』では、貧しい家庭にとって子供は売却可能な数少ない財産として登場する。男の子は豊かな家庭の丁稚奉公に出され、女の子は遊郭へ売られる。いずれにせよ、家計を助けるために幼くして親元を離れ働かされる。子供たちには辛い体験ではあったに違いないが、『眉屋私記』に限らず、戦前の沖縄についてはかなりよく耳にする状況だった。
一方、中村文則著『土の中の子供』は、現代を舞台にした小説である。子供は逃げ場のない空間に押し込まれ、じわじわと大人たちによって繰り返し傷つけられ、大人になっても心に深い傷が残る。『眉屋私記』の戦前では、子供たちが売られる理由は貧しさにあることは明快であるのに対して、この小説ではなぜ、子供が追い込まれるのか、大人たちに傷づけられるのか分からない。その分からないところが、現代という時代を反映しているのだろう。我々一人ひとりは分断され小さな肉の塊に矮小化されるうちに、社会に広く漂う悪意が濃縮され、どころからともなく子供たちに降りかかってくる。『土の中の子供』はフィクションだが、現代の悪意にさらされた子供たちの苛立ちと運命を浮き上がらせている。