沖縄の初日の出に思うこと
元旦の朝、散歩をしながら写真のような初日の出を拝んだ。沖縄はあまり寒くならないせいもあって、もともと大晦日や正月の気分が盛り上がりにくいところがあった。しかし、今年はコロナ禍のおかげで季節の行事やイベントが軒並み中止となり、一段と大晦日や正月の雰囲気に欠ける。そのせいで、改めて思うのは、世界は必ずしもよい方向にばかり進まないことだ。
コロナ禍がこれだけ世界的な問題となったのは、人類が高度な社会をつくりあげたせいであるのは明らか。都市に人口が集中し、国内はもちろん世界各国が高速の交通網でつながることによって感染症があっという間に広がる。世界が新たな混乱と火種を抱えていることは、コロナ禍以前からも分かっていたことだ。
ソ連が崩壊し東西冷戦が終結したとき、これで世界は自由と平和への歩みを進むと漠然と期待したが、中国や北朝鮮との新たな緊張関係が鮮明になる。特に中国は日本をはじめ多くの国々にとって重要な経済パートナーであるだけに、国際関係は一層複雑だ。しかも、中国のような権威主義の国の方が、経済成長という目標だけに限定するならば、政府の一存で決定を下して実行でき成果を挙げやすい。新型コロナの感染対策についても同じことがいえよう。日本を含め世界的に自由や民主主義を訴える声が小さくなりがちである。
また、別の意味で人間の自由や意志が薄らぐ懸念がある。コロナ禍によって、一段とデジタル化やロボット活用が進むことが予想されるが、これは便利である半面、人間が持つ体力や知力を機械やAIに置き換えることになる。ますます肉体や頭脳を使う機会が減らないか気になる。より人間が創造的な活動に時間をあてられるという教科書的な回答があるが、どれほど信用できるだろうか。