ヒリヒリする孤独感と映画の手法  村上春樹著『女のいない男たち』①

 今年の米アカデミー賞で濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が国際長編映画賞を受賞して話題になったが、その原作となった村上春樹著の同名小説を読んだ。村上作品といえば、SF小説や幻想小説とは呼ばないものの、現実から数十センチ浮き上がったところで物語が展開するような感覚が伴う。勝手に自分はそんなイメージを持ってきたが、「ドライブ・マイ・カー」は違う。登場人物たちはしっかり地面の上で動き回り、どこか非現実めいた浮遊感はない。ただ、村上作品に共通する、出口のないヒリヒリとする孤独感はひたひたと底を流れる。

 おそらく村上作品の中では比較的映像化しやすいだろうが、内面の動きが中心の物語をどのように映像化したか。そんな興味もいくらかあって、実際の映画を見てみた。小説の大まかな枠組みは使いながらも、細かい設定はかなり変更が入っている。小説では軽く触れただけの劇の話題もぐっと膨らむ。異なる言語を組み合わせた劇中劇が繰り広げられるのも、原作にはない要素だ。舞台俳優で演出家の主人公と、彼の専属ドライバーの女という2人の主要登場人物は変わらないが、映画では2人の関わり合いはより深まり、主人公の妻が抱えたまま死んだ「謎」についても独自の解釈を加えている。映像化するための劇的な展開だろうが、滝口監督の独自の作品に仕立てているともいえる。(T)

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