本土こそ沖縄に復帰すべき 赤様憲雄著『岡本太郎の見た日本』②
本書については2022年7月24日の投稿で「太郎の見た」東北を中心に書いたが、今回は第4章の沖縄を語ろう。著者はまず、半世紀前、太郎が「忘れられた日本――沖縄文化論」を再刊するにあたって、新たに加えたエッセイ「本土復帰にあたって」を紹介している。その中で、太郎は「今日、日本の内部はまったく同質化してしまっている」「ところが沖縄は、まったく異質の天地なのだ。本土とはまるで違っていながら、ある意味ではより日本である」と断じ、沖縄は「けっして『本土なみ』などになってはならない、本土こそが『沖縄なみ』になるべきだ」と唱えた。
これから50年が経過し、残念ながら沖縄の本土化は目まぐるしい。昨年は沖縄の本土復帰50周年にまつわる特集番組や特集記事が組まれたが、沖縄がこの半世紀にいかに変わらなかったか、変わったかの視点がもっぱらだったように思える。半世紀前の太郎のように、沖縄に視点を置いて本土を照射するような取り組みがもっとあるべきだったし、これからもあるべきだろう。
同質化という面では沖縄も進んだが、それ以上に本土も進行している。一方で、沖縄戦とその後の米軍統治が沖縄社会に残した傷跡は深く、本土のように勇ましさと力の誇示による対決には同調できない部分も小さくなく、本土に同質化されない部分もある。そのせいで勇ましさと力の誇示に酔いしれる勢力からは「沖縄叩き」の声が聞かれる。軍事面では本土の「沖縄化」が明白であり、周辺国との緊張を高める方向へ突き進む。(T)