青年を死へと駆り立てる沖縄の時代とは 『中屋幸吉遺稿集 名前よ立って歩け』
この紹介文は基本的には以前の投稿からほとんど変わっていないが、今回、本書を「沖本屋」で販売できることになったので再掲する。
エネルギーと可能性に溢れた10代の方が、今より「死」を意識することが多かったのではないだろうか。可能性に溢れるということは何物でもないことであり、不安と拠りどころのなさが体に充満していた。しかも、純粋さや論理的な整合性を何よりも気にして、社会と自分に対して敵意すら覚えかねず、「死」という究極の解決方法への誘惑が動き出す。
こうした私の観念的な死の誘惑とは異なり、沖縄で生まれ育った本書の著者・中屋幸吉は、明らかに時代の犠牲者だった。本書の最後に添えられた「一つ終焉 ―沖縄戦後世代の軌跡―」によれば、中屋は幼少期に沖縄の戦場を彷徨し生き延び、多感な青春期は重苦しい米軍支配を体験する。その最大の衝撃が、姪を米軍のジェット機墜落事故で失うことだった。「死体は、灰の中から発見された。人間の形相をすっかり喪くし、棒きれいみたいな焼死体となっていた」と記し、ショックで大学を休学する。祖国復帰運動に沖縄の絶望的な状況打開を見出そうとするが、40日間、東京をはじめ本土を訪問した結果は幻滅しかなかった。
表題の「名前よ立って歩け」とは、自己への決別であり、生命と肉体の分離を試みる死者の悲しい営為という。1966年6月、中屋は沖縄本島中部の知花城跡で自殺する。本書は、米軍占領期の沖縄におけて若い魂がどのような軌跡をたどったかが克明につづられている。(T)
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